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デザインあ「考えていないわけではない」
NHKに「デザインあ」という番組がある。

コーネリアスの不思議な音楽に乗せて、ピクトグラムや椅子などの人が考えたデザイン、果物などの自然が作ったデザイン、時には発泡スチロールをつぶつぶに分解してみたりと「人間の身の回りにあるものがなんなのか」ということをものの「形」や「見た目」から解剖する番組だ。

私は毎朝「0655」からEテレを付けっぱなしにしているのだが、昨年度からだったか、7時台の「はなかっぱ」の後にこれの5分版が流れるようになった。
朝っぱらから不安になる音楽だなあ(人曰く『コーネリアスだからしょうがないよね』)と、半分寝ながら眺めているのだが、先日、そんな眠気も吹っ飛ぶコーナーに出くわした。

考えていない」というのがそれである。

画面に登場した人がスニーカーを履こうという場面だ。大写しにされる左足が、靴を履いて歩き始めるまでのシーンがスローモーションにされ、三宅民夫アナの声がそれを一つ一つ実況していく。

このページでは「くつ #63」として掲載されている一連の画像だ。
以下に、書き起こしをされたブログを発見したので引用させていただこう。

 さぁ、足がスニーカーにアプローチします。穴の中を目指し、
 スピードを抑えながら慎重に向かっていきます。うん、うまく、
 蹴飛ばさずに中に入れたようです。さぁ、続いて? サポート
 役の、手が降りてきました。人差し指と中指で靴のかかと部分
 を外側へぐいっと引っ張ります。そのお陰でできたスペースに
 すかさず、足が入り込みます。スポッ、と、かかとが入りまし
 た。さぁ、ここまでくれば、あと少しです。さらに靴の中に足
 を入れ込むため、ダメ押しのつま先とんとん。1回、2回。決ま
 りました。みごと、スニーカー装着、完了です。
引用元:「デザインあ」の新コーナー2つはどちらも傑作:由良理人のその日暮らし日記


ナレーションが終わると黒い画面に白文字でタイトルが表示され、三宅アナが読み上げる。
「考えていない」。
もう釘付けである。


……考えている。
厳然しっかりと、考えている。


言ってしまえば、サポート役の手が靴のかかとを引っ張るとき、うまくその指が中に入るよう足の指の付け根の関節を強く曲げてかかとを持ち上げるようにすることぐらいまで考えている。
つま先とんとんに前後して、足をあたかも犬のブルブルのように揺すってポジションを安定させるところまで意識的にやっている。

その瞬間去来した感情は様々すぎるが、敢えて言うなら、自分が発達障害だと認識したときの衝撃をスケールダウンしたものに近かった。

反発。考えてるよ。
納得。ああ、だからみんな私よりちゃっちゃっと靴を履けるんだな。
絶望。私は靴を履く程度のことも人と同じようにはできないのか。
徒労感、悔しさ、妬み。なぜ靴を履く程度のことで人より面倒を強いられているのだ。

しかし一番大きかったのは、『その事実を面白がる心』かもしれない。


「デザインあ」が、靴を履く行動を健常者が「考えていない」と可視化したことによって、同時に、ここに「考えている人がいる」ことも可視化されたのだ。
それは私にとっては大きな発見だったし、他の「考えていない」人、そして私のように「考えていた」人の双方にとっても発見たり得る。
私はそれを言葉にして伝えることができる。


三宅アナは番組のブログでこう語っている。

 さらに不思議なのは、私たちは一体いつ、このような神秘の動作の数々を身につけたのか?ということです。
 思案するうち、3歳になる孫の様子を見て、ハタと気づきました。転けながらのヨチヨチ歩き。口や前掛けを汚しながらの食事。大人を真似つつ身につけてゆく言葉・・・
 「考えていない」動作の一つ一つは、遙か幼き頃、こうやって身につけてきたのだと、教えられたのです。父、母、祖父、祖母・・忘却の彼方にあった家族との時間を思い、「考えていない」個々の所作が、かけがえないものと感じられるようになりました。
私は今、還暦も過ぎ62歳。足腰の動きも若い頃のようにはゆかなくなり、これまで考えずに出来ていた動きを、徐々に意識せざるをえなくなっています。
引用元:『考えていない』を考える|三宅民夫|あブログ


観察、
試行錯誤のアプローチ、
構造化、
あるいは生得的なものか。
どこに問題、もしくは差異があったのかは分からない。
あるいはこういった行動を「考えない」でできないことには、家族や周囲の人々とのふれあいが薄くなりがちなことも関連しているのかもしれない。

しかし、私たちが「考えずにできない」ことは、損失や喪失ではない気もするのだ。
そして同様に、もしすべての人間が将来的に「意識」しながらしなければならないとしたら、その一まとめに「老化」と言われる現象もそうだろう。
たとえばロボットを設計・プログラムするとき、誰かを介助するときに役立つ視点でもあるし、そうでなくても気づいて考えることは豊かなことだと私は思う。
なんせブログのネタにもなる。


……などと言っていたら、今度は同じコーナーで「コップ」が紹介されているのである。
以下に先ほどと同じブログの書き起こしから一部引用させていただこう。


 両目はしっかりと水の動きを捉えています。ゆっくりと
 コップを傾けていきます。口は? まだ開かない。開か
 ない。ここで開きました。そのまま、下唇の上にコップ
 の縁を載せます。そして、唇の両端をキューっとコップ
 にくっつけることで、水が端から洩れるのを防ぎます。
 唇の形をキープしたままで、顎を上げていきます。自然
 と、水は口の中へと流れていきます。
引用元:「デザインあ(67)」の「考えていない」は「水を飲む」:由良理人のその日暮らし日記


「考えてなかった」。
液体は見てなかったし、口の開くタイミングは遅かったし、唇の上に縁は載ってなかったし、
決定的なことには、顎は、下げてた。

思わず朝っぱらからおかんに「顎上げるのか!!」とメールしてしまったら、犬の散歩がてら電話が掛かってきて「あんたそれができなかったからこぼしてたのね」と言われ二人で感慨に浸った。というのは、私がものをこぼさずに飲めないことはそれはもう長い間我が家では懸案事項だったのである。
ある時は「吸えばこぼさないんだよ!」って突っ込まれるし。「吸わないんだよ!」とも怒られるし。
吸引力の問題ではなかったらしい。


「考えている」だけではなく「考えていないことはできない」ことまでもが証明されてしまった。
しかしまあ、可視化・言語化されたことでメカニズムは理解できた。
Eテレは特別支援教育番組として「あいさつ」とか「集中する」とかと同時に「体の使い方」を紹介しているみたいだが、これだけで一年シリーズ組んでもいいんじゃないだろうか……。

そんなわけで、私はここしばらく、顎を上げるトレーニングをしている。なにしろ三十年以上意識していなかった筋肉なのでまだものすごく不自然なのだが。
これから会得できるかは分からないが、かつて私が雑談に参加できるようになった時と同じように、私自身がやりたいと感じている限り、挑戦する価値はあるのではないだろうか。


……くびいてえ。

JUGEMテーマ:デザインあ



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    ほねおり随感〜嬉しかった支援、医療編
    こちらの記事はあなたの周りにも困っている人いませんか?みんなの世界自閉症啓発デーコラボ2016!ブログ編に参加しています。今年のテーマは「嬉しい支援」。

     

    10月の末に足の骨を折った。それで今日まで通院が続いている。

    本題に入る前に、改めて自己紹介をしておきたい。
    私は三十路に入ってから確定診断を受けた高機能自閉症(以下、自閉症)の当事者である。一応成人する手前あたりで自分が発達障害者であるという疑いは得ていたのだが、紆余曲折があって最近まで専門医を受診できずにいた。
    診断を出してくれた主治医によれば、注意欠如多動性障害(AD/HD)の傾向も疑われる、とのことだ。

    自閉症は、一般的に「コミュニケーションの障害」「社会性の障害」「想像力の障害」として紹介される。
    このうち、今回大きく存在感を発揮したのが、コミュニケーションと想像力の問題だ。
    そして近年指摘されていることだが、「コミュニケーション」の手前にある、「感覚の障害」がかなり幅を利かせているように私は思う。


    さて、本題である。
    9時頃屋外で転倒した私は、救急車によって救急外来へ担ぎ込まれた。
    この救急外来ではトリアージを行っている。そのため命に別状がないと判断されたらしい私は、実に4時間寝かされた。

    AD/HDはこういう時辛い。待ち続けることが苦手なのである。
    といっても親や先生に思われているように、「状況に飽きる」というのとはまたちょっと違う。
    いつ呼ばれてもいいように、携帯電話で言えば「待ち受け」状態にしていなければならない。他のことを考えたり眠ったりしてはいけないのだ、そうしてしまっては、突然呼びかけられたときに気づけない。

    そして自閉症の辛さは「これから何が起こるかわからない」というところにある。
    医者が来るのか、看護師か、帰れるのか、泊まるのか、処置はするのか、レントゲンはいつ撮るのか。
    未知の状況は神経を苛み続ける。せめて時計が見えたり「30分は待ってください」などと予測を与えてくれればだいぶ落ち着けるのだが。
    折しもハロウィンが迫っており、エルサの仮装をした女の子が処置室にいる。私よりあの子の方が大変だろうなあ、せっかくの思い出の日に、などと考えを巡らせることでしのいでいた。

    誤解を招かないように言っておきたいが、このときの医療スタッフが何か不親切だったとか不手際があったわけではない。
    むしろ「本当はだめなんですけど」と便宜を図ってくれたことすらあった(ありがとうございます)。
    しかし「本当はだめ」ということを犯さなければしんどいのか自分、という自覚はさらにしんどい。
    なんとか次回の受診日を設定されて帰宅が決まっても、「ああ、これからこのしんどさが何ヶ月続くんだろうなあ」と思ってしまうのは致し方ないことだった。


    受診は週明けであった。

    まずレントゲン撮影がある。自閉症ゆえに自分の体をどう動かせば足が斜めになるのかわからないし、AD/HDゆえにその体勢でじっとしていることも苦手なのだが、まあまあ頑張った。
    余談だが「じっとしろ」「動くな」と言われるとどうしてもぴくぴくしてしまう私だが、「今石化呪文掛けられたごっこ」とか「敵に見つからないように壁になる忍者ごっこ」とか一人こっそり開催しているとちょっと楽しくなってきて動かずにいられる確率が増す。苦手な方は一度試していただきたい。


    2番目にして最大の難関が問診であった。
    ここで「コミュニケーションの障害」「想像力の障害」と「感覚の問題」がパーティーを組んで襲ってくるのである。

    たとえば、私は熱が出たときに「ぞくぞく」したことがない。
    「ぞくぞく」という単語の意味を調べると、鳥肌が立ったときの感覚に似ているようだ。しかし、鳥肌が立ったときと熱が出たときの感覚はかけ離れている。
    「寒気」というのがわからないのだ。熱が出たとき私は、皮膚の周りに何か肉襦袢のような余計なものがまとわりついているか、逆に、体の表面が冷えて、まるで「なくなった」かのような感覚を覚える。

    このとき、内科医に「寒気はしますか?」と聞かれたら、普通に考えれば「しません」と答えるだろう。
    だが、医師は「寒気がするかどうか」を知りたいのではなく、「熱が出ている感覚があるかどうか」を知りたいのではないか。

    医師の質問を、言葉ではなく本来確かめたい意味で取る。
    質問に合わせて嘘を答えろ、というわけではない。
    もし今の私が熱を出したときに「寒気」を聞かれたら、「寒気というか、なんか熱が出ている時みたいにあつぼったい感じがしますね」と答える。

    だがしかし、内科であればそういった、これまでの経験から意味を推測して答えをアレンジすることが可能だが、何せ骨を折ったことなど初めてだ。


    最初から自閉症のことを前面に出しはしなかった。
    しかし困ったのは、転倒したときの痛みについて聞かれた時だった。
    「激しい痛み」「ずきずき」……感じていない。しかし痛みがなかったわけではない。
    意を決して私は自分が自閉症であることを打ち明け、正直に次のように答えた。

    「なんか足首がなくなったみたいな痛みがしました」

    日本語としておかしい。なくなったものは普通痛まない。
    しかし担当医は拒否反応を示すでもなく、「なるほど、そうなんですね! じゃあ、その後は? ここは?」と質問を重ねてきて、電子カルテにメモをしている。
    「えっとそこ触られるとちょっと痛いです」
    「きりきりって感じ? じわじわって感じ?」
    「じわじわですね。あ、そっちは痛くないけど嫌な感じします」
    「嫌な感じね、なるほどなるほど。では……」


    のちに療養中ヒマだったので見ていた「総合診療医ドクターG」の描写で私は膝を打った。
    担当医と私は、できるだけの情報を提供し合うことができていた。


    次にハードルとなったのが、松葉杖の使い方である。実は運ばれた日に一度試していたが、運動神経のにぶいと言われる人にはわかっていただけるであろう、逆上がりとか一輪車をいきなりやれと言われた感覚に似ていた。
    自分の体のどの筋肉を動かせば何が起こるのか、さっぱりわからなかったのだ。

    しかしそこはさすが整形外科の看護師である。
    「腕からまっすぐ、ここに体重がかかるようにしてください。まずここに力を掛けます。
    こっちの足とここを同時に出します、はいせーの」
    具体的な指示によるコミュニケーションと想像力への手助けの賜である。
    横で見ていた(運ばれた日にお手上げだったのも見ていた)弟がびっくりするほど一瞬で会得した。

    だがもっと驚いたのは、その後渡されたものだった。
    今看護師が教えてくれた内容が、詳細かつ簡潔に書かれた図入りのプリントが用意されていた。
    つまり今の指示は、自閉症である私のために特別に用意されたものではなかったのだ。


    大学在学中に障害学の教官から言われたことがある。
    「試験時間など、口頭だけでなく板書を併用する、指示をメモ書きにして残すなどは障害学生にだけ役に立つものではありません。
    それを先生が行ってくれることによって、他の学生にとっても助けになるんです」

    そうか。これがそういうことか。


    その病院では他にも、受付を済ませると出てくる紙に「最初に放射線科にお越し下さい」と印字してあったり、待合室や会計窓口に進み具合の表示が出ていたりする。
    これなら、障害があっても高齢でも助けになるし、そして健常な一般の大人にとっても便利だろう。

    なんと院内無線LANまで解放されていた。ねこあつめや刀剣乱舞をぽちぽちしながら、私は待ち時間の苦痛が大幅に軽減されていることを感じた。
    あとは呼ばれた時に気づきづらい問題だが、これはスタッフを捕まえてあと何人ぐらいで順番が来るかを聞くことで対策ができた。


    その後主治医には、障害ゆえではあるが個人的な問題になる金銭の問題、また、手術で金属を入れる場合の感覚の問題が出る不安(当人は軽く見ていたが同行していたおかんが持ち出してくれた。さんきゅう)などにも何度も相談を重ねさせてもらった。そのたびに電子カルテに打ち込んでいてくれ、次に行ったときに「前聞いたこの問題がありますが」などと持ち出してくれることもあった。
    三月で異動になるそうで、四月からの担当医にもよく引き継ぎをしてくれると言ってくれた。この場を借りて深くお礼を申し上げたい。


    私がありがたかったのは、これらの配慮が、私が自閉症だから、障害者だから用意されていたものではないだろうと感じられたことだ。
    この病院はあらゆる人のためにデザインされた結果こうなったのだろうし、主治医もおそらくではあるが、どんな患者が来ても傾聴される方なのであろう。

    家族内でや教育、福祉の場では、支援を受ける際、「私がこんなだから手助けを必要とするんだ」という気持ちを持たずにいるのは難しい。
    しかし本来、本人の責任のない、あるいは少しだけ責任のあるようなことで支援を受ける場合、引け目に思う必要はない。
    この病院ではそれを感じずに支援を受けることができた。
    またこのスタンスは、私が他のマイノリティと接する際の参考にもなる。


    いろいろと発見の多かった骨折生活だったが、ありがたい支援について考える契機にもなった。

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      パニックホラーにおける自閉症の生存可能性
      物事に集中したいとき、自分の知っている曲を聴く人と、逆に知らない曲を流すという人がいる。

      後者の人の言うところでは、知っている歌詞が耳に入ってそれについて気分が行ってしまうから勉強には向かない、とのことである。私とはまったく正反対の感じ方だったので驚いた。
      私は深く知っている曲こそ集中できる、という感覚の持ち主だ。
      実家の自室はふすまをスパーン! と開けると続きの間が広がる、ふすまを閉めていても欄間で空間が繋がっている構造だったので、いつも同じ曲流れててこっちが飽きるんだけど。と母にクレームを入れられたほどである。悪かったな。

      私の言い分はこうだ。知らない曲を流していると、次の瞬間嫌な音やフレーズが流れてくる危険性があるではないか。というか実際に流れてきて集中が妨げられたことが何度もあった。この場合「知らない」が「ありえない」から「いやだ」に直結している確率が高いのも問題なのだが。
      分かり易く言えば、クラシックを掛けていたら途中の独唱がジャイアンだった、というレベルの作業妨害BGMである。

      好きなアーティストの曲でも、あんまり予想していなかった曲調や歌詞だととても落ち着かない。二桁単位で聴いていると慣れてくる。逆に結果的に惚れ込んだ曲があったりもする。
      その発見はある種感動的なのだが、しかし、勉強の時に毎度感動体験を求めているわけにもいくまい。


      音楽に限らず、私は「わかっているもの」の法則を見て楽しむことが小さい頃から好きだったようだ。
      母の困ったことの一つに、ごはんに飽きて途中で食べなくなって椅子に反り返ってしまう、というのがあったようなのだが、その時私はといえば台所の天井に貼られたタイル状の壁紙の模様を椅子に座っている間中眺めていた。

      私はどうもAD/HDの傾向も持ち、特にその頃はそれが強かったようなのだが、私にとって「飽きる」というのは他の人が考えるのと少し違った現象であるようだ。
      ご飯については「食べる」ということが楽しくなったのが十代も後半にさしかかってからだったので、それまでは「強制されるもの」でしかなかった。「もういいよ」と言われるまで先の見えない修行を続けているかのような。

      「飽きた?」と言われる時、私の中では違うことをしたくなっているというよりも、むしろ「常に待ち受け状態にしておかねばならない、いつ来るかわからないアクションを待たなければならない、それを聞き落とすといけないから他のことをしたり何かを考えたりしていてはいけない状態」がしんどくなっている。
      電源を入れたからには、ディスプレイには常に何かを映していなければならないのだ。それをせずにいられる世間の電話機やテレビを真剣に尊敬する。

      逆に、普通の子供が飽きるような、いつもと同じ風景やおもちゃについてはとことん検討する。石畳、フローリングの木目、電柱の数。台所の天井の壁紙では、こっちは直線でこっちは曲線、この線とこの線にだけ注目すると新しい図形が現れる。当然なのだが、今日もその描線は変わらない。ただ、自分で発見した新しい図形が鮮やかに自己主張している。
      変わらない安心感と、新しい発見ができる、アン=シャーリーが言うところの「想像の余地」を私はこんなところに見つけていた。


      自閉症の特徴として、予定とは違う状況に置かれたとき強いパニックを起こす、というものが知られている。
      私は暴れたり泣き叫んだりはした覚えがないが、それは表出がそうであるというだけで、中身まで落ち着き払っているかというとその逆である。
      この強い混乱について、そのものに注目してもあんまりいい理解は得られないのではないかなあ、というのが私の実感だ。
      むしろ「想定できる」の範囲の狭さに注目するのであれば、私は自分の感覚についての説明を一つ提供できる。


      予定の変更、約束の反故、テレビ番組の特別編成。
      一般的には事情を斟酌して、「そういうこともあるか」となるだろうが、過去に一度そういうことが起こりうると説明してもらっていない限りは想定できない。回路が作られていないのだ。

      感覚だけを言うなら、友人や家族、さっきまで人間だと思っていた相手が実は巨大なめくじだった、と言われた場合のものに近い。もしこう言われて「そういうこともあるか」と感じられたら逆にやばい。

      そして、一度そういうことが起こると説明を受けて理解しても、ではそれを応用できるのがどこまでの範囲か、という判断回路もまた存在しない。そのため今度は何でも深読みしようとしたり、意味のないところにまで意味を見出そうと悪戦苦闘する。

      さっきの例で言えば、家族が巨大なめくじだったと判明し、お隣さんや駅員さん、恋人、学校の先生や同僚、医者や政治家やニュースキャスターまで巨大なめくじなのではないかと疑うようなものである。これでは次に出会う誰も、起こりうる何も信じることができない。

      人間や予定は理解の外のことを起こす。新しい風景であっても同様に。
      だからあの頃の私は台所の天井を愛していたし、今でも何度も聞いた曲の方が好きだと言える。


      これはひとえに想定の範囲の問題だ。
      約束を反故にされるくらいで毎回巨大なめくじに取り囲まれるんだから、難儀な話ではある。
      しかし一度「他人は仮面を被っていて、正体はわからない」という誤った学習をしてしまった自閉者なら、いざ実際巨大なめくじパニックホラーに放り込まれても生き延びることはできないだろうか。

      具体的には、ことが起こるまでリア充な主人公の取り巻きに「キモっ」とか「暗っ」とウザがられているが、パニックが起きて誰もが隣人を信じられなくなったあたりで、廃墟を利用した基地に一人立てこもっているところ発見され、主人公にナメクジの弱点をもたらし協力関係を結ぶ役どころ。ヒロインからは「見直したわ」などと言われつつもモブ扱い、せいぜい便利アイテム程度のやつ。

      孤島ものだと、単独行動が徒になって2〜3番目にやられる役回りではある。しかしパニックホラーならば。
      親友の顔をくっつけた巨大なめくじに躊躇って攻撃を与えられずにいる主人公を「理解できない」などと言いながら、ラストシーンまで生き延びる目もあるのではないか。
      とりあえず来たるべき日に備えて、塩でも備蓄しておくことにしよう。
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        イベント回収。〜自閉症の音声コミュニケーションにおける弁別と翻訳の話
        少し前から父のことをプロップだと思っている。

        この言葉はどうも演劇の世界で小道具のことを指すようなのだが、私が知ったのはゲーム用語としてだった。この場合要するに、いかにもな感じで置いてある宝箱とか道をふさいでいる岩とか、それっぽいことが彫ってある石板である。オブジェクトのうち、調べるアクションを起こすと情報が出てくるやつ。


        先日帰宅して台所で鍋の火加減を頼まれていた時だ。
        流しに何か持ってきた親父が話の流れで、「お母さん最近疲れてるから」と言い出した。
        しかしこれは何か具体的な、疲労を訴えているとか伏せっている時間が長くなったというエピソードを伴う話ではない。その辺を突っ込んで聞けば親父は「あの時もそうだった、あの時も」「最近増えたんだ」と主張するかもしれないが、この「最近」は私の記憶だけでも二十年は続いているし、その言を信用するなら母はずっと忘れっぽく、疲れていて、イライラしている。
        台所で話題にしている場合ではない。医者に連れて行った方がいい。
        この言い回しに関しては、それっぽいことを言いたいだけではないかと私としては睨んでいる。中学ぐらいに気づいたのだが、親父の台詞にはドラマで流れていたようなものが実に多い。しかもそれが五年ぐらいで入れ替わったりする。

        で、こちらは親父のことを登場人物ではなく舞台装置だと思うことにしているのだが、このときはゲームで言うNPCを相手にしているような気持ちで、母のためにその認識を改めるとかではなく私自身が家族っぽい会話というイベントを回収したセーブデータを作るために訂正を試みた。
        「いや、最近はちょっと余裕出てきたみたいだよ。話わかってくれるまでが早くなってるし」
        この返答は親父の予測の範囲になかったようである。
        「あ? 何だって?」
        後述するが別に私の言いたいことを否定したくてこう返しているのではない。本当に聞き取れなかったのである。
        同じ台詞を3回ぐらい繰り返してから私はついこぼしてしまった。
        「お父さんとは言葉の問題で通じないんだけど、お母さんとは気持ちの問題で通じないんだよな」
        その瞬間引き戸をガラガラと音を立てて現れた母が
        「逆じゃないの」
        とそれはそれは不満げにつぶやいた。コントかと思った。


        ところで、人間の耳は実は言語音を一つ一つ文字に直してから認識しているわけではない。
        手元に正確な資料の控えがないため間違ったことを言っていたら申し訳ないが、たとえば「ようのへんきは?」と発声した時に、イントネーションや状況が合っていれば「晴れてるね」と返事してくれるのが日本人だ。
        ほんとかと思ったら確かめてみる方法がある。実在の人間相手にやると伝達に失敗した時変な人だと思われるが、現代人必携の箱とか板にはマイクが付いているかと思う。
        実際にこの記事を書くに当たって実験してみたところ、Google音声入力とYahoo!音声アシストでは天気予報を表示してくれた。Cortanaさんは「道路編キハ」という鉄分高めの文字列をBing検索してくれた。まだ一歳にも満たないしこんなもんか。私は手元にないので確かめられないのだが、Siriさんをお持ちの方がおられれば情報をお寄せ下さると幸いである。

        大学時代、障害学の講義で受けた実験で判明したことだが、私の耳(もしくは脳)はCortanaに近い。
        面白いことに、他の学生が単音→二音→語句と的中率を上げていくのに対し、私のスコアは下がっていったのだ。
        そこでは面白がられただけで終わってしまったが、自閉症者が空気を読めないのには行間や表情をキャッチしにくいこと以外にもこういった側面が関係しているかもしれない。
        主観では推測で参照できる言葉の受け皿が小さく、予想外の言葉だととても参照に時間が掛かる、要するにCortanaさんだと円がぐるぐるしている状態が長いという自覚もある。

        私よりコミュニケーションが不得手な親父にも同様のシステム障害が存在していると考えても不思議はない。
        つまり、文字単位でひとつでも耳が聞き漏らせば変換ができなくなるのだ。
        逆に一般の人の聞き取りは、ミスタイプをしても「もしかして:」を出してくれるGoogleやATOK変換に近いといえる。ATOKはいいぞ。


        おかんに関してはまず、「私と娘の間に気持ちの問題は存在していないはずだ」と考えること自体が、健常者故のある種の傲慢を含んでいる。

        「なんでこんなことやったんだ!」という形の叱責がある。
        うちの親父も使うのだが、もし世間一般の親父殿にそう聞かれた時、なんでやったのか理由を話し始めれば、「ごちゃごちゃ言うな!」と火に油を注ぐことになるだろう。
        しかし、うちの親父に初っ端から「ごめんなさい」と言えば、「俺は理由を聞いているんだ!」と高確率で返ってくる。理由を言ったからと言って即座に許されるわけではなく、最終的には非を認めて謝ることを求められているのだが、言葉の意味に忠実に従う必要があるのである。
        もっとも、本人が妙な法則を確立していて、外から見ると意味不明な論理になっている場合も多いのだが。解読する必要があるわけだな、石板だからな。

        で、私はこの二者で言えば真ん中へんのコミュニケーション様式を採用しているのだが、怒りや混乱でワーワー言っている最中に「何で!」と叫んでいたら、本当に理由が気になっている。
        が、まあまあ理解はされない。

        同じ言葉を聞き、同じものを見て感じたことは、同じようなものになるはずだという考えは誰にでも存在する。健常者側だけでなく我々にもだ。しかし私は既に多くの人が自分と異なる感受性を持っていることを知っている。
        そのため余裕がある限り、他人との会話では基本的に自分の中で翻訳したものをアウトプットすることにしている。それは母親相手と言えど例外ではない。
        そっちも翻訳してから話せとは言わないので、差異が存在していること、翻訳の努力をなきものにしないでいただきたい。
        というのが私が傲慢と感じる所以である。


        ……と、場を改めて母に解説したところ非常に感じ入った様子で、
        「よおおおくわかったわあ。
         でもお母さんすぐ忘れるから、書いといて」
        と言われたためここに記す次第である。
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          じいちゃん考
          母方の祖父の話である。

          長いこと農業を営んでいる祖父は、近所に住んでいた。私の家の隣も祖父の畑だったので、たびたび仕事に来ては我が家で十時と三時のおやつをとっていた。祖母は人間より犬猫や草花の方が気が合うんじゃないかという人だったが、祖父は反対に犬が大嫌いで野良犬とみるとおっ飛ばしていた。しかし我が家のお茶コーナーにはいつも犬が繋がれていて、それを特にいじめたりはせずかわいがりもせず、時々おっ飛ばす振りをして笑っていた。あれは実は犬をからかっていたのではなく孫をからかっていたのではないかと今になって疑いを抱いている。

          祖母は体が弱く、ずいぶん伏せってから亡くなった。難しい人ではあったが何をすれば喜ぶかということははっきりしていたので、その犬を連れて散歩がてらのお見舞いに行ったりしていた。しかし、祖父の喜ぶことはよくわからなかった。

          祖父自身が自分の話をほとんどしなかった、というのもある。娘であるうちの母が中年になって唐突に夜勤のある職に就いた時、「夜勤は大変だろう。俺も造幣局で夜勤してたからな」と言い出して、初めて聞いた母が大いに驚いた。よくよく聞けば生まれ育った大阪で、兵役逃れにアルバイトをしていたそうだ。大阪の造幣局って言ったら桜の名所、今のトレンドで言えば五代さまではないか。びっくりぽんや。
          それを当の祖父の葬儀の時にネタにしたら、大阪から駆けつけてくれた大叔父が「せや、兄貴は造幣局でバイトしてたんや。帰りにいつもきんつば土産に買うて来てくれてな」などと振り返っていた。この大叔父はその年齢にしても古めかしい名前を付けられていてそれをずっと不満に思っていたそうなのだが、それを祖父が遠く離れた関東で家を持ってから遊びに来てぼやいたところ、にやりと笑って「それは俺が付けたんだ」と言い出したのがやはり我が祖父である。いわく、両親が年老いてから生まれたいわゆる「恥かきっ子」だったため、届けを出すのを恥ずかしがって息子に行かせたらしい。「道々考えてったんだが立派な人物って言ったら校長先生しか知らなくてな、その名前を貰った」とのこと。

          そういえば、祖父は母のことをいつも案じていた。
          夜勤のエピソードもそうだが、私が運転免許を取ってからだから亡くなる数年前、まだ元気に働いていた頃に野菜を分けてくれながら「お母さんに心配掛けるなよ」と言われたことがある。そうか母に心配を掛けるような孫であることをじいちゃん本人には懸念されているのか、少し進歩しても「これでお母さんが心配しないで済む」と思ってくれるかなあ、などとぼんやりと思っていた。それは私が自閉症である故の「言葉を辞書的な意味でだけ受け取る」解釈だったと今ならわかる。
          お母さん、という表現には仮託させた部分があって、何割かは祖父自身が直接私の身の振り方を心配していたのだろう。母の実家にとっては愛嬌のある受け答えができ、祖父や祖母とのほほえましいエピソードがある弟ばかりかわいいのだろうと考えていたのもあるが、近所のスーパーに行った帰りにアイスを買ってきてくれた祖父が、弟にだけ食べさせてやろうという気持ちだったとは考えづらい。

          こんなこともあった。小学校四年生ぐらいの頃だと思うが、父の実家に車で向かう途中、「おじいちゃんが、桜花は作家になればいいって言ってたよ」と言い出した。文字通り自慢にならないので自慢ではないが、当時は学校の成績だけはよく、先は医者とか検事だとか言われていた頃だったのでとても鮮明に覚えている。しかし状況のせいでずっとその「おじいちゃん」を父方だと勘違いしていた。
          最近になって父方の祖父が言うようなことではないと気付き、母に確かめたところ、あっさりと「そうだよ。あんたが動かないから、机にいていい仕事だろうって」
          ……思ったよりトホホな理由だったが、私に初めてクリエイティブな仕事を見立てたのは祖父であったらしい。

          じいちゃんが私のことを実際どう思っていたのかは定かではない。人一倍動く、おやつのときにも先にさっと席を立ち、遊びに行っても庭や視界の隅をさっさか動いている人だったから、孫が「動かない」ことを気にしていたのかも知れない、が、そこで出てきた表現が作家だというのには否定の意図はあまりないようには感じられまいか。
          名付けと言われて校長先生の名前が出てくる祖父は優等生でもあったらしく、教育勅語を暗唱させられていた、今もできるらしいと聞いて、母伝手に「今度聞かせて」と頼んだら、書いて寄越してくれた。御名御璽と書いてあってうわ十二国記で読んだ単語じゃんと思ったが意図がすれ違っている。お互いにちょっとコレジャナイ感は抱いていたかも知れない。
          郷土の歴史を調べていた時は、昭和の大合併でうちの村がどっちとくっつくか、世話になっている人と妻の実家への義理の板挟みになっていたという手記を寄越してくれた。表現は家内だったかもしれないが、いずれにせよ祖父が祖母を文字で呼んでいるのを初めて読んで新鮮だった。あれらの書き付けはどうしたっけ。

          祖父の形見と言えるものを私は持っていない。そういうのにこだわる家族でもないので。ただ、
          関西の友人が私を評して言ったことがある。
          「桜花さんはこっちで言うところの『いらち』だねぇ」
          意味を調べてみると、そこに私が覚えている、視界の端をせわしなく移動する祖父の姿があった。
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